ダンプ松本の生い立ちと家族構成は? 伝説のヒールレスラーの過去と現在!

現在、元プロレスラー・ダンプ松本さんが主人公で、80年代女子プロレス描く「極悪女王」がNetflixオリジナルで作成され、配信予定です。

ダンプ松本さんは1980年代、全日本女子プロレスで「悪役(ヒール)」として絶大な人気を誇り、多くの視聴者を魅了しました。

しかし、そんなダンプ松本さんの生い立ちには、波乱万丈なエピソードが隠されています。

  • ダンプ松本の生い立ちは?
  • ダンプ松本の家族構成は?
  • ダンプ松本の現在は?

こちらについて調べてみました。

目次

ダンプ松本の生い立ちと家族の絆とは?

ダンプ松本のプロフィール

ダンプ松本さんのプロフィールを調査しました。

  • 本名:松本 香(まつもと かおる)
  • 生年月日: 1960年11月11日
  • 出身地:埼玉県熊谷市出身
  • 身長/体重: 164cm / 100kg(現役時代)
  • デビュー/引退: 1980年デビュー、1988年引退(その後何度か復帰)
  • 得意技: パイルドライバー、バックドロップ、ダンプ・クラッチ
  • 所属団体: 全日本女子プロレス

ダンプ松本さんは、悪役・ヒールとして大活躍しました。

どんな人物だったのでしょうか?

ダンプ松本の生い立ち

ダンプ松本こと松本香さんは、決して恵まれた環境では育ちませんでした。

千葉市の貧しい家庭に生まれ、幼い頃から家計を助けるためアルバイトに励みました。

特に厳しい母親の姿を見て育った松本は、「強くならなければ」という思いを胸に秘めるようになっていったそうです。

どのような生い立ちだったのか詳しく見てみましょう。

ダンプ松本の生い立ち
  • ダンプ松本・実家の状況
  • ダンプ松本・父親の状況
  • ダンプ松本・父との確執
  • ダンプ松本・プロレスの理由
  • ダンプ松本・父との和解

ダンプ松本・実家の状況

4畳半の狭いアパートで貧しい生活。母が家計を支える。

ダンプ松本さん3歳頃、母親と(1985/7/25号の雑誌「週刊明星」)

ダンプ松本さんの幼少期は、非常に貧しいものでした。

ダンプ松本さんは、埼玉県熊谷市にある4畳半の狭いアパートに家族で住んでおり、家の家計を支えていたのは主に母親でした。

母は昼も夜も働き詰めで、必死に家族を養っていました。

家の中にはほとんど家具がなく、最低限の生活用品しか揃わないような状況でした。

ダンプ松本・父親の状況

酒、ギャンブル、女遊びに依存し、働かない。

ダンプ松本さん・中学2年生ころ(1985/7/25号の雑誌「週刊明星」)

ダンプ松本さんの父親は家庭のことを顧みず、酒、ギャンブル、女遊びにふけっていました。

父親は、ほとんど働かず、トラック運転手をしていましたが、すぐに辞めてしまったそうです。

父親は家にいることも少なかったため、経済的な負担はすべて母親にかかっていました。

父親が帰宅すると、家庭内はいつも緊張状態になり、暴力的な言動も頻繁にあったと言われています。

父親は裕福な農家の家に生まれましたが、ろくに働かず家庭内は常に不安定だったそうです。

また、ダンプ松本さんの父親はアルコール依存症の症状もあり、お酒を飲むと暴れることもあったそうです。

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ダンプ松本・父との確執

父の放蕩に強い憎しみを抱き、母を守るためプロレスラーに。

松本香からダンプ松本へ(1984年)

ダンプ松本さんが幼い頃、父親に対する憎しみは深まっていきました。

父親は、家におらず、酒やギャンブル愛人の家にも出入りしていたそうです。

無責任な行動や家庭への暴力に耐えられず、幼いダンプ松本さんは母親を守りたいという気持ちを強く抱くようになったそうです。

特に父親が酒に酔って家に戻った際、母親に対する暴力を目の当たりにしたときの怒りが、ダンプ松本さんの心に深く刻まれました。

あるときは、泥酔した父親が母親を殴ろうとしてガラス窓を割ったこともあるそうです。

その時、ダンプ松本さんは「このまま放っておけば出血多量で死ぬから、救急車をよばなくていい」と母親に泣いたそうです。

大好きな母親と

しかし、この時近所の人が救急車を呼んで、父親は助かりました。

このことをきっかけにダンプ松本さんはその後45年間、父親と一切言葉を交わさなくなったのです。

ダンプ松本・プロレスの理由

父を倒すために強くなる決意。

ダンプ松本さんがプロレスラーを目指すきっかけは、父親に対する復讐心からでした。

父親を倒すため、強くなる必要があると感じ、プロレスの道に進むことを決意します。

特にダンプ松本さんが言及しているのは「自分が強くならなければ、母親を守ることができない」という強い思いでした。

プロレスは、ダンプ松本さんにとって単なるスポーツではなく、家族のための戦いでもあったのです。

大好きな母親を泣かせてきた父親への憎しみがプロレスラーになる決意をしたのです。

強くなって力をつけて、プロレスラーとして成功し、母を守りたい一心でした。

ダンプ松本・父との和解

晩年に父と少しずつ和解し、最期を見届ける。

ダンプ松本さんの父

父親との関係は長年悪化したままでしたが、父親が病に倒れた後、少しずつ和解の兆しが見え始めました。

父親はお酒も飲まなくなり、認知症の症状も出始めました。

この頃、ダンプ松本さんは父親と少しずつ会話をするようになりました。

残り少ない父親の時間を思い、優しく接していたそうです。

父親が亡くなる前、ダンプ松本さんは父親の最期を見届けました。

父親が晩年に「お前が強くなって良かった」と言葉をかけてきたことが、二人の関係にある種の区切りをつけた瞬間でもありました。

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プロレスとの運命的な出会い

中学生の頃、テレビで見たプロレスの試合に衝撃を受けたダンプ松本さん。

ジャガー横田や長与千種といった女性レスラーに憧れ、男性中心だった当時のプロレス界に飛び込む決意をします。

しかしダンプ松本さんは、身長163cmと小柄なため、体重を100kg以上に増やし、独自のスタイルを確立しました。

ヒールキャラクターとして観客を魅了する存在へと成長していきました。

家族との複雑な関係

プロレスラーとしての道を歩み始めたダンプ松本さんでしたが、家族との関係は決して平坦ではありませんでした。

特にダンプ松本さんの母親は強く反対し、家族の期待とプロレスへの情熱の間で苦悩の日々が続きます。

それでも、ダンプ松本さんは、家族のために成功を収めようと懸命に努力し続けました。

徐々に成功を収め、経済的な安定をもたらすことで、家族もダンプ松本さんの活動を認めるようになります。

ダンプ松本さんは、試合後に必ず家族に電話をかけ、近況を報告する習慣もありました。

家族の絆は、ダンプ松本さんの成功の陰ながらの支えとなっていたのです。

優しさに溢れた素顔

リング上では冷酷なヒールを演じたダンプ松本さんですが、実際はとても優しい人柄でした。

ダンプ松本さんは、プロレス仲間や後輩レスラーにはまるで母親のように接し、多くの若手から慕われていました。

ある時ダンプ松本さんは、怪我をした後輩レスラーのために自分の試合前に見舞いに行き、励ましの言葉をかけただけでなく、治療費の一部を負担したこともあったそうです。

ダンプ松本さん、本当はお優しい方なのですね・・・このようなエピソードからも、ダンプ松本さんの温かい人柄が伺えます。

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ダンプ松本の家族構成は?

ダンプ松本さんの家族は、両親と妹の4人家族でした。

ダンプ松本は4人家族

  • 父親
  • 母親
  • 本人

ダンプ松本の父親

ダンプ松本さんの父親についてこのようにコメントしていました。

働かない父親に代わり、内職で育ててくれた母親を助けるため、当時流行していた女子プロレスラーになるも、「お母さんにお金を送ると、父親がそれを盗んでまでパチンコに行っていた。本当にどうしようもない野郎です」と淡々と語った。

引用:ORICON NEWS

ダンプ松本さんの父親は酒、女、ギャンブルに依存しており、ダンプ松本さんにとって非常に厳しい存在でした。

ダンプ松本さんは、父親とは疎遠になっていましたが、後に和解しています。

ダンプ松本の母親

ダンプ松本さんの母親は、ダンプ松本さんにとって非常に大切な存在であり、母を守るためにプロレスラーになったと語っています。

また、ダンプ松本さんには妹が一人いますが、妹さんについてはあまり多くの情報が公開されていませんでした。

今回のドラマ化でどのように描かれているのか気になりますね。

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引退後のダンプ松本の活動と現在の様子は?

ダンプ松本さんは、1988年に一度引退しましたが、その後もプロレス界や芸能界で様々な活動を続けています。

引退後のダンプ松本さんの人生もまた波乱に満ちたもので、リング外でも多くの人々に影響を与え続けています。

引退後の活動内容

ダンプ松本さんは、プロレスラーとして引退後、すぐに芸能界に進出しました。

そして、バラエティ番組やトークショーに出演し、プロレス時代のエピソードを披露することで新たなファンを獲得しました。

また、ダンプ松本さんは悪役レスラーとしてのキャラクターを生かし、ドラマや映画にも出演しています。

特に印象的だったのは、1990年代に出演したバラエティ番組「笑っていいとも!」や「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」などで、ダンプ松本さんの持ち前のユーモアと強烈な個性が視聴者に支持されました。

これらの番組での活躍を通じて、ダンプ松本さんはプロレスファン以外の層にも広く認知されるようになりました。

また、ダンプ松本さんは引退後もプロレス界とのつながりを保ち続けており、イベントや特別試合などで時折リングに復帰しています。

2016年には、女子プロレス団体「スターダム」の10周年記念イベントに参戦し、ダンプ松本さんの往年のファンを喜ばせました。

現在のダンプ松本は?

ゆりやんさんとダンプ松本さん

現在のダンプ松本さんは、芸能活動に加えて、さまざまな社会貢献活動にも力を入れています。

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啓発イベント

ダンプ松本さんは、依存性に関する啓発イベントに出席したり、全国各地で「プロレスと人生」について語る講演を開いています。

ダンプ松本さんの講演は、プロレスファンだけでなく、逆境に立ち向かう姿勢や人生の教訓を学びたいと考える人々にとっても感銘を与えています。

引退後もダンプ松本さんは、プロレスの枠を超えて多岐にわたる活動を展開してきました。

ダンプ松本さんの活動は、プロレスラーとしての強さだけでなく、優しさやユーモア、そして社会に貢献しようとする姿勢によって支えられています。

Netflixでドラマ制作

ダンプ松本さんを主人公にしたドラマ「極悪女王」がNetflixで製作されました。

ダンプ松本さん役は「ゆりやん」さんです。

ダンプ松本さんもコメントしています。

ヒール(悪役)がドラマ化されるなんて驚きました。ましてや主役だなんて耳を疑ったほどです。

引用:映画ナタリー

ダンプ松本さんは、ヒール役をしていたご自身が主役と聞いて驚いたそうです。

その理由は・・・

  • ヒール(悪役)は常にベビーフェイス(善玉)ヒーローがスポットライトを浴びるための盛り上げ役。
  • ヒール(悪役)は影に隠れた裏方の存在。

ダンプ松本さんは、「悪役に光りを当てたドラマ化はすっごく嬉しくて感謝の気持ちでいっぱい」とコメントしています。

ドラマがますます楽しみになりましたね。

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まとめ・ダンプ松本の生い立ちと家族の絆とは? 伝説のヒールレスラーの過去と現在!

ダンプ松本さんの波乱に満ちた人生は、家族との強い絆に支えられていました。

厳しい環境で育ち、家族のために強くなろうと努力したダンプ松本さんは、リング上では観客を魅了するヒールとして、プライベートでは家族や仲間を大切にする温かい人間として生きました。

ダンプ松本さんの生い立ちを知ることで、冷酷なリングパーソナとは異なる、優しさに溢れた一人の人間としての姿が浮かび上がってきます。

ダンプ松本さんの成功の陰には、常に家族との絆があったのです。

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